山陽小野田市学校給食センターでは、20日から26日まで、学校給食週間にちなんだ献立となっています。
<明治22年 学校給食の始まり>
山形県鶴岡市の小学校で、弁当を持って来られない子どものために、昼食が出されたことが給食の始まりです。
1 月 20 日の献立
ごはん 鮭の塩焼き すいとん汁 たくあんのごま和え 牛乳
<昭和21年 戦後の給食再開>
戦争により中断していた給食は、外国からの援助により徐々に再開されました。アメリカから小麦粉が寄贈されパンが出されるようになり、昭和 22 年1月には、パンと脱脂粉乳を中心とした給食が全国的に再開されました。
1 月 21 日の献立
パン レーズンクリーム ミートボールのケチャップ煮 ブロッコリーサラダ 牛乳
<昭和51年 米飯給食の開始>
学校給食法が改正され、米飯給食が正式に導入されました。これによりカレーライスなども給食に登場するようになり、献立の幅が広がりました。
この頃、脱脂粉乳が牛乳に代わりました。
また、戦後から昭和 60 年頃までは鯨料理がよく出ていました。鯨肉は栄養価が高く、当時は安価で手に入りやすかったためです。
1月 24 日の献立
麦ごはん ポークカレー コールスローサラダ ヨーグルト 牛乳
<現在 献立の多様化と食育の推進>
行事食や郷土料理、外国の料理など、多様な献立が出ます。
また、地場産物を多く取り入れ、地産地消を推進しています。
「食育基本法」の制定により、学校給食の目標が栄養の確保だけでなく、食育の推進を重視したものになっています。
山口県の郷土料理の25日(火)、宇部日報の取材を5年生が受けました。
1 月 25 日の献立 「山口県の郷土料理」
わかめごはん 鯨の竜田揚げ 大平 お茶めな大豆 牛乳
山口県では長門市を中心に、古くから捕鯨が行われていました。今でも大晦日や節分などの行事の際に、鯨を食べる習慣が受け継がれています。鯨は栄養価が高く手に入りやすかったので、昭和60年くらいまではよく給食に出されていました。
大平は、れんこんや里芋などの季節の新鮮な野菜や山菜、高野豆腐、鶏肉などのたくさんの具材の入った汁気の多い煮物です。
ライ麦パン いちごジャム ビーフストロガノフ オリヴィエサラダ 牛乳
1年生は、配膳室の世話をしてくださる食育支援員さんへ
2年生は、給食を届けてくださる配送員さんへ
3年生は、牛乳屋さんへ
4年生は パン屋さんへ
5年生は、調理員さんへ
6年生は、栄養士さんへ
お礼状を書きました。
感謝の心も育む学校給食週間です。